教育

関西は日本の近代教育の発祥地と言っても過言ではない。古代、教育は限られ た身分の子弟に対する、儒教中心のものだったが、828年、空海は庶民を対象 に仏教、儒教を教授することを目的とした私立学校「綜芸種智院」を開設、こ れが日本の学校教育の始まりといわれている。
江戸時代の1724年には、5人の大坂の町人が儒者中井甃庵とともに彼らの師、 三宅石庵を学主に迎えて「懐徳堂」を大坂に開設した。懐徳堂からは優れた町 人学者が輩出したがなかでも山片蟠桃は洋学にも造詣が深く、最新の洋学知識 を導入した宇宙論は圧巻であった。懐徳堂は後に幕府官許の学問所となり、自 由な学風で知られた。戦後は大阪大学に蔵書が引き継がれ、現在でも懐徳堂に ちなんだ市民向けの文化講座を開講している。
また同じ江戸時代の1838年には蘭医緒方洪庵が家塾「適塾」を開設。洪庵は大 坂の瓦町で医業を営むとともに、私塾を経営して子弟の教育にあたり、20年間 にわたり600名以上の門人を教育した。「適塾」は、村田蔵六(大村益次郎)、 橋本左内、福沢諭吉など明治維新の原動力となった人物を輩出し、日本の近代 化に大きく貢献した。
1869年には、大阪で初めての公立教育機関、舎密局が設立され、化学、物理を 教えた。後年、京都に移転し京都大学となった。
関西には1府県に1つ以上の国立大学のほか、地方自治体が設置した公立大学、 多くの私立大学がありその数、短期大学124校、大学120校、両方合わせて日本 全体の約21%に当たる(1994年)。
国立大学の中でも1897年に創立された京都大学は、東京大学と並び日本のアカ デミズムの双璧として学問の世界をリードしてきた。「真に学問をする大学」 を建学の精神にして、「京都学派」と呼ばれる独特の学風をつくっている。 同じ国立の大阪大学は、先に述べた懐徳堂、適塾を源流とした大学で、現在は 男女12,500人の学生が在籍する総合大学に発展した。微生物、産業科学、蛋 白質、溶接工学、社会経済の5研究所や多数の付属研究施設等があり「地球に 生き、世界に伸びる」を基本理念として掲げ、更なる発展を期している。 観念的、思弁的な学問ではなく、自由な立場での実証的な研究に重点を置いて いるのが国立の神戸大学で、10学部と、付属研究所として経済経営研究所があ る。
兵庫教育大学、国立・京都工芸繊維大学、神戸商船大学、滋賀医科大学などは ユニークな単科大学である。また、奈良女子大学は国立では東京のお茶の水女 子大学と並ぶ女子だけの高等教育機関である。
なお、先端科学技術分野における高度な基礎研究の推進とともに、大学、企業 等において先端科学技術分野の研究開発に携わる人材を組織的に養成すること を目的に、1991年10月に学部を置かない国立の大学院大学として、奈良先端科 学技術大学院大学が関西文化学術研究都市に開設された。同大学には、情報科 学とバイオサイエンスの2研究科が設置され、最先端の機器を導入し、全国か ら多様な学生を受け入れている。
公立大学では、大阪府立大学、大阪市立大学、京都府立大学、京都市立芸術大 学などが、それぞれ地域に人材を輩出している。関西学院大学、関西大学、同 志社大学、立命館大学など数多い私立の総合大学へは、全国から学生が集まり、 人材の養成や研究の成果の還元によって社会的に大きな役割を果している。私 立の単科大学としては、日本の缶詰産業の発展に大きく寄与した、兵庫県川西 市の東洋食品工業短期大学などユニークな学校もある。
高等学校教育は公立と私立校の協力によって支えられており、戦後、普通科を 中心とした画一的教育の反省から、生徒の個性を伸ばすため、スポーツ、演劇、 芸能などの多彩な専門学科を持った高校が、各地で増加する傾向にある。 さらに、外国人居住者の児童・生徒たちは、帰国した際に自国の教育システム に戻るため、日本でも本国と同様の教育を受けたいという希望があり、これ にこたえて、関西では大阪インターナショナル・スクール、京都インターナ ショナル・スクール、カネディアン・アカデミィ、マリスト国際学校など国 際学校(JCIS加盟校)が6校あり、英語のみならず、ノルウェー語などによ る教育も行なわれている。