■平安京

都は恭仁宮(京都府加茂町)、紫香楽宮(滋賀県)、難波宮(第2次)に一時 移るものの、平城京は784年、桓武天皇が長岡京(京都府長岡京市、向日市な ど)に移すまで続いた。

しかし、長岡京も造営途中で廃され、794年、平安京(京都)に遷都された。 以来、明治維新の1年後の1869年、それまでの江戸、東京に遷都されるまで、 1,000年以上にわたって天皇は京都に住いした。

平安京は平城京とほぼ同様に整然と区画割りされた都だった。北側の中央には 天皇が政治を行う大極殿などの大内裏があり、その中央南門の朱雀門から都の 南端にある羅生門までに左京、右京があった。東西4.6km、南北5.3kmにわたっ ており、都の規模も平城京とほとんど同じである。

約400年間の平安京時代は貴族が栄華をきわめた時代でもあった。天皇家との 姻戚関係をもとに、藤原氏がしだいに強い勢力を持ち、摂政、関白となって天 皇に代わって実際に政治を行うようになった。その頂点に立ったのが藤原道長 だった。

7世紀から9世紀にかけ、15回にわたった遣唐使が廃止されたのは894年である。 比叡山に延暦寺を建てた最澄や、高野山に入った空海ら多くの留学生が、唐の 文化を日本に持ち帰ったが、遣唐使が廃止されたことによって、唐の文化の影 響力が弱まり、漢字に代わる仮名文字の発展など、道長の時代を中心に日本独 自の国風文化を成立させた。

その代表的なものは、紫式部の「源氏物語」、清少納言の「枕草子」などの女 性による文学作品であり、京都府宇治市に残る平等院鳳凰堂に見られる浄土教 芸術である。