■平城京

近江京はわずか5年で幕を閉じ、再び都は飛鳥に戻った。そして、奈良・畝傍 を中心とした藤原京に移り、さらに元明天皇の710年には平城京(奈良)が誕 生する。

中国・唐の長安に倣い東西8坊、南北9条の72坪にわたる日本初の本格的な都で、 その北端中央部の奈良市佐紀町を中心とした部分は国の特別史跡として保存さ れている。

奈良国立文化財研究所などによって発掘調査が行われ、政務の中心だった朝堂 院などが中国大陸の様式をとっていたことが明らかになっている。また、平城 京の南にあった朱雀門が間口32m、奥行き17mの基壇の上に建てられていたこと などもわかり、その復元作業も進められている。

平城京は聖徳太子によって広められた、仏教の教えを理想とする都でもあった。 都の中につくられた寺院は西大寺、唐招提寺、薬師寺、大安寺だったが、隣接 して東大寺、興福寺、元興寺が建立され、それらの地域は外京と呼ばれた。

律令国家としての安定を誇った奈良時代、唐の文化の影響も受け、天平文化と 呼ばれる独自の文化が栄えた。薬師寺東塔、唐招提寺金堂、法隆寺夢殿などは 天平文化の現在に残る建造物であり、東大寺の日光、月光菩薩などの仏像、正 倉院の「鳥毛立女屏風」、薬師寺の「吉祥天女像」などすぐれた美術工芸品を いまに伝えている。